住みやすい街、三ツ沢
三ツ沢地区は、横浜駅にほど近く、地域内に横浜市営地下鉄ブルーラインの三ツ沢上町駅と三ツ沢下町駅があります。
また、国道1号線が街の中心部を走り、首都高速や第三京浜の出入り口があるなど交通の便が良い地域です。
さらに、大きな公園やグランドなどの緑も多く、せせらぎ緑道という自然に恵まれた遊歩道も整備されており、閑静な住宅地が広がる落ち着いた街です。
約1万5千人の住民の87%が「住みやすい街」と答えています。
三ツ沢の歴史
「三ツ沢」の由来について
「三ツ沢」という名称が登場する最も古い文献は、豊顕寺(ぶげんじ)所蔵の十界図裏書(じっかいずうらがき)になります。そこには「干時天文廿暦辛亥(1552年)八月時正武州青木内三ツ沢草庵」と記されています。また、江戸時代の文政7年(1824年)に発刊され神奈川宿周辺の風土を記した「金川砂子(かながわすなご)」にも、豊顕寺に設置された僧侶の学問所である「三澤檀林(みつざわだんりん)」という記述があります。
「三ツ沢」の由来については、諸説あります。
一つ目は、書籍「横浜地名考」では、「松本方面から保土ヶ谷方向に進み、国道1号線が第三京浜と交差するあたりで谷戸が三つに分岐することから、三ツ沢と呼ばれるようになったのではないか」と推察しています。
二つ目は、三ツ沢小学校創立50年を記念して昭和58年に発刊された副読本「三ツ沢の今と昔」では、地域の古老の話として、昔は滝の川(現在の「せせらぎ緑道」)に3つの湧水があり、それぞれが沢となって流れ込んでいたので三ツ沢と呼ばれるようになったという説が紹介されています。3つの沢とは、①三ツ沢墓地から三ツ沢中公園の東側を流れる「谷戸」、②三ツ沢競技場から三ツ沢公園入口交差点に抜ける「飯田谷戸」、③三ツ沢幼稚園付近の低地から三ツ沢南町公園を抜ける「将軍田」(「しょっくんだ」とも呼ばれた)になります。
三つ目は、隣接する西区側の地名が「枯れた沢」を意味する軽井沢であるのに対して、水が豊かな谷戸だったので「水沢→三ツ沢」になったというものです。
どの説が正解だったとしても、「三ツ沢」が蛍舞う滝の川の清流の流域にあり、湧水が多いという特徴を言い表した地名であることは間違いありません。
三ツ沢の町が誕生した経緯
三ツ沢には「三ツ沢下町、三ツ沢東町、三ツ沢中町、三ツ沢上町、三ツ沢南町、三ツ沢西町」の6つの町が存在します。これは、昭和7年1月1日に実施された横浜市の町界町名地番整理事業の施行により、青木町大字三ツ沢を分割して誕生しました。
町名の正式な読み方は、例えば三ツ沢下町は「みつざわしもまち」で、他の町も全て「まち」と読みます。一方で、地下鉄の駅名やバス停の名称は「みつざわしもちょう」なので、少し紛らわしいかもしれません。
今後は、公式ブログにて三ツ沢の歴史をご紹介していく予定です。是非ご覧ください。